suzukaの軌跡

知識や感情が入り混じる一つの宇宙

ゲームをする時間が自身を停滞させていると感じることがある

とても珍しく感情をどこかに吐き出したいと感じたのでたまにはポエムを投下する。

ゲームを貶す目的で記事を書いているわけではなく、そう感じてしまう自分に対する葛藤と自己嫌悪である。 上記感情に準ずる落ちやそれを解決・脱却した方法などが書いているわけではなく、ただジレンマによって思考がループしていることを書き記した物です。 書き殴っているため人に見られるための体裁は整っていません。見づらいです。

ゲームが悪かと言われると、むしろ好き

ゲームはみんなが想像するより学べることが多い。ゲームをしていない人には絶対伝わらない。 物事を並列で考える練習にもなるし、視野を広く持つことの練習にもなる。 ゲームによっては反復練習なるものが存在し、実を結びやすく自身に達成感を与えやすいツールでもある。 (所謂キャラコンであったり、格ゲーでいうコマンド入力/コンボだったり、ゲーム操作の練度をあげることで上達できる。必要なのは大量の時間。)

私の中でゲームは、「業務でもなかなか学ぶ機会がないようなノウハウを学べる媒体」であるとともに、他人とのコミュニケーションツールでもある。 話題のゲームをやっていれば会社のチームや同僚と会話する手札にもなり得るし、同じゲームをしている人とはもっと込み入った話もできる。 同じ学校同じ教室で得られる友人とはまた違った友人関係が築けるし、自分の生活環境・バックグラウンドに依存しないコネクションを持つことができる。

小さい頃からMMORPGにハマり、いろんな人間とPTを組んだりチーム・ギルドで活動し、同じ目標に向かって切磋琢磨し合い、支え合うことを楽しんできた。 誰かとコミュニケーションをとりながら、物事を達成するために戦略を練り適材適所な人選を行い、行動をずっとしていた。 PvP(Player vs Player)要素のあるゲームをやっていたた。その実やっていることは戦争である。いろんなギルドと手を組んで勝利をもぎ取るためにいろんな人と言葉を交わしながら戦略を練ったりもした。

非現実だからこそ得られる楽しみや知識、経験などがそこにはあった。 それらをインターネットゲームを通じて世界のどこかにいる人間と共に得られる経験は、唯一無二の価値である。 だからこそゲームは大好きで、これからもやり続けたいと感じる自分がいる。

ゲームが好きだというのに、どうしてゲームをする時間を停滞と感じるのか

自分の周りにはゲームを趣味とせず技術を追いかけている人たちがいっぱいいる。まわりはどんどん前に進んでいるのに自分だけ棒立ち状態。立ち止まっている。置いていかれていると勝手に感じている。

「自分が不得手なもので、ほかの人が得意なもの」なんていくらでもある。「ほかの人が不得手で自分が得意なもの」もごまんとある。理屈ではわかっているが、どうしても比べて勝手に落ち込む。自分を思いつめる。 自分よりたくさん人生の時間を費やしている人と比べて自分が遅れていると感じるのは当たり前で、「ならそれくらい時間を費やせばいいじゃん」ともなる。 やってることが多すぎてすべてにそんな時間をつぎ込むことはまずもって無理。それも理屈ではわかっている。

ゲームの代わりに何ができなくて停滞をしていると感じるのか

Information Technology, 技術。世間一般で言うとエンジニアと呼ばれる業種の専門知識。 この知識は世の中の様々を効率化させることができるツールで、やればやるほど効率化ができる。 すべてが効率化された世界はとても美しい。だからこそ知識を得たいモチベーションがそこにはある。

ITの世界に足を踏み入れたのは中学2年で、そこからずっと趣味でいろいろ触ってきた。常に新しい世界や知識を追い求めることができるのはとても至高であり、自身の知識欲を満たし続ける甘い餌でもある。 ITはやればやるほど触りたい技術はたくさん増えている知識の底なし沼である。 GCP/AWSも興味があり、様々な縁もあり最近触り始めているが楽しいと思えているし、webアプリを書きたいモチベーションもある。React+TypeScriptやりたいなーとかずっと思っている。 コンテナ技術とそれを取り巻く技術が大好きで、今仕事でやっている技術スタックでもある。CNIはAntreaなるOvSベースのOSSがホットだし、Kubernetesを5年以上触ってきたからこそVMのメリットや優位性も見いだしている。頭の中でやりたいこと、検証して結果を得たいことはどんどん湧いてくる。

ここにたくさん時間を費やしたい、もっと時代の最先端を追い続けたいと感じている自分がそこにはいる。しかし、デイリークエストやらウィークリークエストやらが実装された数多のゲームでとりあえず「なにもしない時間」「その日の自由時間」を消し去ってしまう。ゲームも好きなのと、特に何も考えずに何かを達成できる体験がそこにあるから。

新しく勉強したいと思っているのに手が進まない。実行に移すための体力が衰えてきているかもしれない。実際体力はここ数年でガクっと落ちている。趣味をする体力すら減ってきているのだ。

周りと比べる癖が悪い?

一概に悪いわけではない。

自分より下をみて自分の立ち位置を確認することも一概に悪ではない。ただそれに陶酔し上に行こうとしないのがだめである。 私の周りには、私より上と感じるプロフェッショナル性を持った人がたくさんいる。フロントでもそう、インフラでもそう、行動力や考え方、学ぶ速度とかも。自分が趣味でやっている内容で、私より上手な人がそこら辺にいっぱいいる。だからおいてかれたくない。

技術を追えていない状態を悪と定義してしまっている

世の中には、仕事が終わったらほかの時間は家族や個人の趣味にすべて費やすような人だっている。仕事以外は一生ゲームしてますみたいな人もたくさん見てきた。自分の人生において何が善、何が悪かは自分が決めることである。 ただ、何かの考えに囚われ思考が凝り固まってしまうのもよくないが、無意識のうちに何かに囚われているのかもしれない。

ストレングスファインダーという自身の強みを可視化するツールがあり、その中で自分は最上志向が上位にある。「何をするにしろ自分が考えうる最高の状態を実現したい」と考える性質のことである。 「自身が目的としている最高の状態と、そこに進めていない自分とのギャップ」が悪となっていそう。

つらつらいろんな感情を書いたけど結局今は何を思っているのか

ゲームは今後もやり続けるだろうし、ITの知識を得るのも続けると思う。どちらも自分の意志で楽しいと思えるからやってきたことであるから。 ただ、このポエムを書いていて、「もうちょっと楽に生きてもいいかもしれないな」なんて思ったりもした。思いつめすぎなのかもしれない。

現実主義なので過去や未来を考えて行動することは基本ないが、しなさすぎるのもそろそろ問題になりそうだな、なんて思った。身の振り方をそろそろ考えてもいい年齢かもしれない。

「停滞」に関する感情は、何か正解があるものではなく、人それぞれ答えが異なるものである。他人に意見を聞くことはできるが、それは100%自身に当てはまる正解ではない。 自分で答えを見つける、折り合いをつける必要がある。解決できるのは時間とちょっぴりの運かもしれない。

とりあえず書きなぐっていったんすっきりしたので、しばらくはやりたいことをやり続けようと思う。 進展があればまたポエムを書くかもしれない。